「プログラミング言語Rubyのコアコミッター・中村宇作氏を採用しRuby開発とImageFlux開発を加速します」のニュースで既報の通り、Rubyのコアコミッターを務められているusaこと中村宇作が入社しました。 聞き手はニュースの写真にも登場している、bashこと執行役員 技術マネジメント室長 小芝です。
プロフィール
1973年生まれ、富山県出身。
2000年よりRubyの開発に携わり、現在は主にWindows版の開発および安定版の保守を担当。Ruby公式サイトに世界で一番多く記事を書いている人。
RubyKaigi2013スピーカー、大江戸Ruby会議05キーノート。 TRICK 2013、TRICK 2015 入賞者。
- 好きなメソッド: Enumerable#map
- 座右の銘: ケセラセラ
- GitHub、Twitter ID: @unak
自己紹介
まずは自己紹介をお願いします。
この度、ピクシブの一員として参加させていただくことになりました。ピクシブは社員の平均年齢の若い会社で、その中でベテランとしての経験を生かしていけるよう頑張っていきます。
Rubyの処理系はC言語で書かれているため、Rubyのコミッタ―である私もC言語が「母語」です。私が担当するImageFluxというサービスでは、画像処理ということでC言語で書かれたライブラリを多く活用していますが、そういった部分で自分の強みを発揮したいと考えています。 また、言語処理系であるRuby自体もそうですが、その中でも特に安定版保守を担当しているように、人々の日々の活動を支える技術に愛着があります。 ピクシブはクリエイターの活動を応援する会社ですが、ImageFluxは画像データを最適化して高品質かつ高速に配信することで、ピクシブのみならず、世界中のWebサービスに貢献する事業です。
Rubyのコミッターとしての開発・保守はもちろんこれからも続けていきますが、それと同時に、ImageFluxを通じて、ピクシブ、ピクシブのサービスを利用する皆さん、そして世界中のWebサービスを利用する皆さんを支えていきたいと思っています。よろしくお願いします。
これまでのお仕事
Rubyコミッターとしての活動は存じておりますが、いわゆる仕事としてはどういうことをされてきましたか?
小さなものから大きなものまで、いろいろやってきました。
初めての仕事は、某生保のアセット・ライアビリティ・マネジメント(ALM)システムの開発だったんですが、ピーク時は150人くらいが開発に入ってましたね。ここで、参加して数日で直上のリーダーが仕様書を持ったまま失踪したとか、よそのチームのバッチ処理が遅すぎてそのしわ寄せでこっちの処理が所定の時刻までに終わらないので、その遅いコードをこっちのチームのみんなで殴りに行ったとか、某社の50人の新卒がわけもわからずに書かされたという1000本のモジュールの単体テストと結合、というか実質的な書き直しをさせられたとか、とにかくIT業界のいろんな闇を体験させてもらいました。
その後も、大きめの会社の基幹業務システムの開発に携わって、途中からは組み込み系の仕事をやるようになりました。MIPSなボードにRTOS移植したり、LinuxやWindowsのデバイスドライバを書いたり、医療用レーザー機器の制御ファームウェアを書いたりしてました。
その一方で、Webサービスの開発も割と初期から細々とやってました。2001年だったかにRubyでcgi.rbを使ったWebサービスを開発して納品したりしてたんですけど、これはたぶんRubyでお金を稼いだ相当初期の事例なんじゃないかと思います。もちろん時代が下るにつれてWeb系の仕事は増えて、Perl、PHP、Java、C#(ASP.NET)あたりでの開発は経験しましたが、なぜかRailsは仕事ではやってないですね。なんでだろう。
もしご所望なら、Railsを使ったWebアプリケーション開発に携わってもらうのも大歓迎しますよ!
Rubyとの関わり
Rubyとはどういう縁で知り合いましたか?
「インターネット老人会」ネタですね。昔はお手元で使う便利ツールとしてPerlを使ってたんですけど、Perl5のオブジェクト指向機能がどうしても手に馴染めなくてそれで何か乗り換える先はないかと探してみたらRubyに出会いました。Ruby界のベテラン勢の半分くらいは多分同じ感じですよね。
コミッター活動をはじめたきっかけはどこでしたか?
今言ったように、普通に日々の生活でRuby使ってたんですけど、2000年の秋というか冬というか、その頃に、京都でPerl Ruby Confというイベントがあって、そこでmatzがRubyを紹介する講演をしたのを聞きに行ったんです。そしたら、その講演の中でmatzが「Windows使ってないからパッチ来ても対応しきれないので誰か助けて」って言ったので、「じゃあやりますよ」とその場で直接伝えて、それでコミッターになりました。
matzにはその前にも別の機会に会ったことはあったし、小さなパッチをruby-devに幾つか投げたこともあったんですが、実質的には何の実績もなくいきなりコミッターになったようなものです。当時のRuby界隈は人が少なかったから牧歌的だったんですね。
ピクシブのファーストインプレッション
ピクシブにきてみてどうですか?カルチャーショック的なこととかありましたか?
みんなそうだと思うんですけど、初めて東京オフィスに入ったら「おおっ!?」と思いますよね。壁にたくさん絵があって、中に入るとカラフルで。
別の執務エリアも白木が主体で、「これがオシャレ開発系オフィスというものか……」みたいな。あと、とにかくみんな若くて、いやうらやましいな、と。そういう外見的な印象はともかくとして、実際に中で仕事してみると、いい意味で高い自由度でエンジニアが開発できていて、大変に仕事しやすい環境だと思っています。割とすんなりと加われたんですが、これは周りのみなさんが配慮してくださったおかげなんですけど、なので「ショック」みたいなものはとくにはなかったですね。
ピクシブを知った経緯
そもそもピクシブってどこで知りましたか?
どこだろう……。Twitterにpixiv内のイラストがちょこちょこ流れてくるので、そこから、とかですかね。遅くとも10年くらい前にはpixivというサービスについてはもう認知はしてたと思います。
あと、昔読んだ記事で、ピクシブではメタルラックにベニヤ板載せてその上にむき出しのM/Bとかを積み上げたサーバを使っているとかいうのがあったじゃないですか。その手の記事を何度か読んでいたので、それでピクシブという会社そのものを知っていた、というのもありますね。
応募のきっかけ
応募しようと思ったのはどんなきっかけでしたか?
この業界に入ってからずっと、いわゆる受託開発系で、よその会社に納めるものばかりを作ってきたので、自分のところのサービスを自分でつくる、というのをやりたくなりました。どうせなら自分が使っているものを作っている会社がいいよね、と思っていろいろ考えた結果、ピクシブが候補にあがりました。
創作する人々を支えるサービス、というところが本当に気に入りましたし、さっきの話のベニヤ板サーバの話題とかで勝手に親近感を持っていたということもあるかもしれません。Ruby関連のイベントでよく見かけていたし、Pawooも始まってたので、Ruby絡みのことをやるかどうかはともかくとして、話ができやすいかな、ということも考えました。
あと、オフィスが千駄ヶ谷にあったのと。
千駄ヶ谷、地理的なところですか?
千駄ヶ谷は、将棋会館があって、将棋ファンにとっては聖地なんですよね。私は自分では将棋はほとんど指さないんですが、プロの将棋をネットなどで観戦する、いわゆる「観る将」(観る将棋ファン)なんです。JR千駄ヶ谷駅の王将の水飲み台から始まって、将棋会館はもちろん、鳩森神社、プロ棋士の皆さんが食事に利用される様々なお店など、見どころに事欠かない土地です。
ある人にTwitterで「転職は4割くらいが千駄ヶ谷目当てだったんじゃないか」とか言われちゃって、さすがに4割はないですが、だいぶ影響があったのは事実です。将棋は、藤井六段の活躍や、羽生竜王の国民栄誉賞など、最近はニュースとかで取り上げられることも増えましたし、ぜひ私みたいな観る将も増えていってくれると嬉しいなあと思います。
これからの夢
これからピクシブで成し遂げたいことや、やっていきたい夢ってありますか?
イラスト描く人、物語を書く人、作曲する人……なんでもいいんですけど、何かを創り出す人たちを、ちょっとずつでもお手伝いして、ちょっとずつでもその創作活動を便利にしていく、そういうサービスを作っていきたいなあ、と。私自身は、正直、全然創造的なタイプではないんですが、だからこそ、何かを作り出す人たちに対して、すごい、憧れというか、リスペクトの気持ちがあるので、何かしらそういう人たちのためになることをしていきたい、と思っています。
若手に一言
ピクシブでは20代半ばぐらいのメンバーが多いですが、彼らやこれから新卒採用などでピクシブを志す学生たちに何か一言を。
とにかく、やりたいことをやってみよう、ですかね。未来がある人には無限の可能性がありますし、将来、何が起きて何が変わるかなんかわからない。だから、その時その時に自分が本当にやりたいことにチャレンジしてほしいです。
同年代に一言
ベテラン勢にも一言お願いします。
若手へとまったく同じなんですけど、とにかく、やりたいことをやっていこうぜ! 老い先短いし!
わたしも社内ベテランエンジニア勢の一人として、ガンガン進んでいきます!